婚約解消直後の沙穂子さんのお話。
その夜遅く、帰宅した祖父に婚約の解消を報告した。
多くは問われなかった。
もしかしたら、祖父もこうなることを薄々予感していたのかもしれない。

おやすみなさいの挨拶をして、居室に下がる。
ドアを閉めて完全に一人きりになってから、大きく大きくため息を吐いた。
そうやって息を吸ったり吐いたりしていると、やがて喉が絞られたように引きつり、横隔膜が波打ち始めた。
顎のあたりにくすぐったさ感じて、指先で触れてみる。頰に涙が伝っていた。

ああ。
ようやく、ひとりになれた。

幼子のように声を引きつらせて泣きながら、ベッドにいくつも並べられたクッションを一つ掴んで、振り上げては叩きつける。
何度も、何度も。

泣き喚いて、追い縋ることができれば良かったのだろうか?
泣きはらして、被害者らしい振る舞いでもすれば良かっただろうか?

あの時もしそれができていたら、本物の恋だと認めてもらえたのかもしれない。
認めてもらう?一体誰に?
本物の恋ではなかったから、自分はおとなしく身を引くことができたのだろうか。

例えば、相手の罪悪感を刺激することで。
例えば、祖父の威を笠に着ることで。
万が一、婚約解消を免れたとしても、それで肝心の気持ちまでが変わるわけじゃない。
解っていた。解っていたから、受け入れた。
騒ぐことなく。冷静に。

どうせ最後になるなら、せめてあの人にとって見苦しくない自分でありたかった。
物分かりのいい、できた女性でいたかった。
それはつまらない見栄だったのだろうか。
このプライドは、下らないものなのだろうか。
こうして一人にならないと思い切り泣くことすらできない自分は、ひとりぼっちの寂しい人間なのだろうか――

もっと、形振り構わず、滅茶苦茶になるくらい、彼に好きだと言えたなら。
今すぐに部屋を飛び出して、お爺様のところへ行って、泣きじゃくってしまえたら。
友だちに電話をかけて、朝まで話を聞いてもらって、慰めてもらえたら。

だけど、どうしてもそれができない。
誰も自分を責めないだろう。家族も友人も、きっと優しく泣き言を聞いてくれる人たちばかりだ。
それなのに、そうやって他人に縋ることが、どうしてこんなにもいやなんだろう。
そんなことをするくらいなら、こうして一人で泣くほうが、ずっと、ずっと、ましなのだ。


破けたクッションからこぼれた羽根が舞い散る中、流れる涙もそのままにして、強く強く宙を睨んだ。

これが、わたし。
わたしの傷は、わたしだけのもの。

お気に入りのパジャマに着替えて、ベッドに散らかした羽根を集めて寄せた。
クッションの修繕は明日。
今夜は好きなアロマを焚いて、温かくしてゆっくり眠ろう。
ベッドに入って、胎児のように丸くなる。

明日の朝には、ひとつも傷ついていない顔で、何事もなかったような完璧な微笑みで、いつものわたしで居てみせるから。
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2019/09/24

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