ひとつの旅を終えて、次の旅に向かう入江くんと琴子ちゃんのお話
「あたし、寝てた…?」

遠くに汽笛の音が聞こえて目が覚めた。ホームの簡素なベンチに座ってほんの少し転寝をしていただけなのに、充分な睡眠をとった後のようにすっきりしている。

辺りを見回すと、同じように休憩から醒めたひと達が、やんわりと伸びをしたり空を見上げたりしていた。
つられて視線を上空に上げると、降るような星空が広がっている。人工的な照明はなく、満天の星明りだけで視界が確保された、心安らぐほの暗さだった。

ひなびた単線のホームは宇宙に剥き出しのままぽつんと存在し、暑くも寒くもなく、風も匂いも感じない。
どこまでも視界が開けた銀河の果てに、星とは違うまたたきが見えた。それはぐんぐんと近づいてきて、再び汽笛が鳴り響く。まもなく、列車がホームに滑り込んだ。

乗車位置ぴったりに停車し、静かにドアが開く。列にまぎれて乗りこむと、すぐに背後でドアが閉まる。
振り向けばすでに列車は発車していて、みるみるうちにホームが遠ざかっていくのが見えた。

乗り合わせたひと達はいつのまにか散り散りに別れたようで、そばにはもう誰もいない。車窓から見える景色はホームで眺めたのと同じような星空で、線路を踏むことなく進む列車はとても静かに走行していた。

コンパートメントに区分された車内に歩を進める。知らない場所でひとりぼっちだけれど、あちこちのコンパートメントから穏やかなささめきの気配がして、不安や孤独は感じなかった。それよりも、先ほどから、胸を震わせるような強烈な予感に気をとられている。

たしか、待ち合わせをしていたのではなかったか。
この先のコンパートメントで。だれかと。
本能のように導かれるまま、ひとつのコンパートメントのドアを開けた。

「ひさしぶり」

その姿を一目見て、懐かしさと愛しさが溢れだした。
そばに駆け寄ると、コンパートメントのドアが閉じてふたりきりの空間になる。

「あたしを待っててくれたんだ」
「約束だからな。それに、前回はおまえが待っててくれただろ」
「前回?」
思い出そうと試みたけれど、逢えた嬉しさでふわふわとしていて、落ち着いてものを考えることができない。

「忘れたのか?」
「忘れてないよ!今、思い出そうとしてるの!」
「ふん、どうだか。おまえは忘れっぽいからな」
呆れてバカにするような口調でも、どこか優しく、嬉しそうだ。

「おまえが忘れても、おれが憶えているから大丈夫だよ」
なだめるように触れられて、もう考えることはやめにした。こうして逢えただけで充分で、今はその歓びに浸っていたい。
微笑み合ったとき、ふたりが同じ気持ちであると確信した。

ぴったりと寄り添って座る。
再会したらあれこれ伝えたいことがあった気がするのに、いざまみえると、そんなことは些事に過ぎなかったと感じる。
言葉はいらず、ただ触れ合って、できるだけ永くふたりでいる幸せを感じていたかった。



うっとりとまどろみながら、ふたりを乗せた列車は進む。
車窓からの眺めはいつまでも代り映え無く、短い停車を繰り返しながら、静かに銀河を走り抜けてゆく。



いつの間にか、切符を持っていることに気が付いた。
行き先は『9月28日』と印字されている。かたわらを見やると、同じように切符を眺めていて、そちらの行き先には『11月12日』とあった。

「今度はずいぶん近いみたいだな」
ほっとしたように言われ、よかった、と思う。肉のうつわは脆く、精々100年ほどしかもたない。離れすぎると行き違いになってしまうこともあるのだ。

「あたし、今度も必ず見つけるからね」
「待ってる」
「逢えたら、きっと、キスしてね」
「ああ」

約束する。そう言って、重なるように触れ合った。
さきほどのふれあいではあんなにも満たされていたのに、今はとてももどかしい。

静かなこのコンパートメントの中では、いつまでもふたり寄り添って存在することができる。けれども、どんなに近づいても、溶け合うことはできないのだった。手をつなぐことや、抱き合うこと。キスをすること。すべては肉のうつわを介してできることで、今のふたりはそれを持たない。

早く、肉のうつわが欲しい。
そして、出逢って、恋をして、キスをして、溶け合いたい。

列車の旅もまもなく終わる。
ふたり並んで、心地よいコンパートメントを出て降車ドアへと向かう。しばしの別離に寂しさはあれど、不安はなかった。これまでだって、乗車と降車は別々で、その瞬間には誰もがみんなひとりきりなのだ。

それに、この寂しさが逢いたいという原動力になることも知っている。ここでの記憶はすべて失くしてしまうけれど、この原動力だけは失うことなく、ふたりの再会を引き寄せる希望となる。


まもなく列車は『9月28日』駅に停車した。

「じゃあ、いくね」
「ああ」

ふと、別れ際の雰囲気を茶化したくなり、イタズラ心を込めて尋ねる。
「ねえ。あたしが降りたら、寂しくなる?」
「当然だろ。でも、それよりも…」

思わぬ囁きに気をとられているうちに、ふたりの間でドアが閉まった。
隔てられた向こう側の、穏やかなほほえみを視線で追いかけるも、あっという間に列車は銀河へと走り去った。

しばらくぼんやりと、ひとりぼっちのホームにたたずむ。
そのうちに、別れ際の囁きがじわじわと浸透し、じっとしていられないような心地になった。
改札口に向かって駆け出す。

『早く出逢って、おまえとキスがしたい』

あたしもだよ。
あたしも、早く、あなたに逢いたい。

逸る心そのままに、まばゆい光に包まれた改札をくぐりぬける。
ハッピーバースデーの産声に向かって。
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2020/09/28

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